クロユリの花言葉「愛・恋の物語」
◆アイヌの恋の花物語
アイヌ民族には自分が好意を抱いている相手に、気持ちをこめたクロユリを誰にもバレないように、好きな人の近くにそっと置くというのがありました。
これを置いた人が誰だか分からず、相手がそのクロユリを手に取れば恋が叶うと言うお話。
小学校のころにあった、消しゴムに好きな人の名前を書いて使い切ると恋が叶う、みたいなものとい一緒な感じでしょう。
どうでしょうか?
ちょっと初々しい感じの話が花言葉の由来になっていたんです。
学生時代はこういう、まじないや占いに頼って勇気を出すという人が結構多いので、意外と共感が持てる人が多いんじゃないでしょうか。
さて、もう一つの花言葉「復讐・呪い」という意味は、どのよう伝説が由来になっているんでしょうか?
実は、これはちょっとした勘違いから始まった悲しい話です。
コト助くん
クロユリの花言葉「呪いの伝説」

月と日本の城
◆呪いの花の伝説
1536年-1588年に実在した、佐々成政(さっさ なりまさ)という大名ががとある勘違いをしてしまったんですよ。
その勘違いは何か?
それは妻の浮気。愛する妻である早百合(さゆり)が妊娠して、側室であった為周りの嫉妬買ったのか
「おなかの中の子供は浮気相手の子」
という噂が流れてしまします。
それに怒った成政が早百合を殺して、早百合の一族まで殺害したと言われています。その時、早百合が死の間際に、
コトハちゃん
しばらくすると、成政は当時の最大勢力「秀吉」に取り入ろうと、秀吉の妻「ねね」にクロユリを送ったといいます。
珍しいと思ったねねは、淀の君に自慢しました。
しかし、事前にこの話題を知っていた淀の君は、より立派なクロユリを取り寄せました。
コト助くん
そして、当然ねねは恥をかいてしましいますよね。
こうして、恥をかかされた事をムカついたねねが関係したか分かっていないが、佐々成政はお家断絶となったそうです。
この出来事がきっかけで、クロユリは人を不仲にしたり家を滅ぼす呪いの花となったといいます。
勘違いから始まった悲しくて怖い話でしたね。
何事も怒りに任せてそのときに感情で動いてしまうのは考え物です。
今は、フライデーなどがあるから大名の奥さんが浮気してたらすぐに、雑誌に載っていたんでしょうね。
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